青き月光でねじれた『おとぎばなし』は猛き月光で正されねばならない



 2006年、静岡圏は一つの大きな転換を迎えた。
 新市街区を中心とした樹詞都市。
 神社仏閣の多い区画を中心とした神騒都市。
 圏内の二つの都市特性を持つ都市が統合され、新たな都市へと生まれ変わった。
 神樹都市−静岡。
 それこそが統合の果たされた都市の名である。



 イザベラ・マクスリーという少女がいる。
 彼女は米国からの留学生で、金髪縦ロール碧眼という絵に描いたようなお嬢様であった。
 事実、留学をするだけあって家もそれなりに裕福。語学を始めとする成績も優秀。留学生の身でありながら、統合され人員整理も行われた静岡圏総長連合の第一線にいるのが、彼女の優秀さの何よりの証拠である。
 そんなごく普通のお嬢様は、ごく普通に留学し、ごく普通の総長連合生活を送っていました。でも、ただ一つ違ったのは、お嬢様は人馬(ケンタウロス)だったのです。

「統合されたからってお仕事は減りませんのね!?」
 イザベラ・マクスリーは叫びながら、騎兵槍(ランス)を構え突撃する。
 彼女の身は既に獣詞変(オルタード)し、半人半馬の状態にある。
 蹄鉄の効果を顕す符を馬の四足に履き、疾駆。
 並の人間の速度を遙かに凌駕する加速と最高速。
 速度と重量はそのまま威力へと変わり、人型の妖物、小邪鬼(ゴブリン)を貫いた。
 彼女は現在、総長連合の隊員として、市街に出現した妖物の駆逐に当たっていた。
 妖物の駆逐は、総長連合の仕事の一つである。
 蹄の音が響き、一体、また一体と小邪鬼が倒されて行く。
「むしろ統合後の方が忙しい気がしますわよ!?」
 彼女の言葉通り、妖物駆逐への総長連合の出動回数は統合後に目に見えて増えていた。
 都市概念遺伝詞統合による地脈改造の余波が、遺伝詞乱散という形で表れている
 総長である草薙・焼を始めとする、新生静岡圏統一総長連合の見解である。
「理解は出来ても、納得できませんわ」
 胸甲を付けた女騎兵が駆け抜け、妖物が貫かれ散って行く。
 やがてイザベラの行く手に立ちはだかる妖物の量が増え、その強さも増して行く。
「つまり、遺伝詞乱散の核が近いということですわ!」
 イザベラは目の前に立ちはだかる敵のみを撃破し、駆け抜けて行く。小物を相手にするよりも、騒動の中枢を直接叩くのが、彼女の得意とする戦法だった。
 地上を走る存在で、人馬である彼女と同等の速度を出せるものは皆無に等しい。
 やがて、一際禍々しい気配を放つ、四体の妖物が彼女の前に立ちはだかった。
 その姿は小邪鬼の者であるが、体躯の大きさや動きが、通常のそれとは明らかに違う。
「ゴブリンロードが四体……私の相手としては役不足ですわね!」
 イザベラは吠え、騎兵槍を構え突っ込む。だが四体の妖物は散開し、イザベラの初撃を避ける。
「避けた!? たかだかゴブリンの癖に生意気ですわよ!」
 イザベラの表情を見て、ゴブリンロード達は邪悪な笑みを浮かべる。その笑みには殺戮と破壊だけでなく、どこか好色な物が含まれている。
 妖物の視線は、スカートの下から生える人馬としての彼女の下半身、つまりイザベラの馬体に注がれていた。動物的な躍動美に溢れているが、見方を変えれば下着を付けていない下半身を晒している状態とも言える。
 本能的に侮辱されたことを悟り、イザベラの顔に羞恥と怒りで朱が差す。
「くっ、この……!」
「自己紹介しとこう!! オレは――」
「聞きたくありませんわよ!」
 イザベラの怒声が、ゴブリンロードの声を遮る。
 ――イザベラ・脚術技能・発動・最加速・成功!
  ――イザベラ・槍術技能・発動・突撃・成功!

 風よ風よ風よ
 駆ける私を迎えるものよ
 遮るもの無き場所に貴方は吹く
 遮るもの無き場所を私は駆ける
 何処であろうと

 イザベラが己の詞と共に再度の加速。同時に槍の柄に突いたトリガーを引き絞ると、大気が裂破し、突風を生む。
 ――イザベラ・衝神神器・発動・衝撃波放射・大成功!
 衝撃をまとった槍の穂先が、一瞬で四体のゴブリンを同時に貫いた。
「抜か八!!」
 ゴブリンが断末魔の悲鳴を上げ、言詞の塵へと還る。
「乙女を恥ずかしめた罰には、これでも足りませんわ」
 そう呟き、月光を浴びた女騎師は疾駆を止めた。



「?」
 イザベラが感じたのは、違和感だった。
 神が騒ぐ都市と呼ばれていた、静岡。
 その名は変わっても忘れられてはいない。かつての名前通りに、大気が騒がしさを失わない。
 それが意味することはただ一つ。
「まだ終わっていない……?」
 言語を解するほど高等な妖物ですら、この遺伝詞乱散騒動の中心ではないのか。
 イザベラの心に、驚愕と僅かな恐怖が湧き上がる。
 次の瞬間、轟音がイザベラの居る空間を押し潰した。
 物理的な力を伴った轟音は、路面のアスファルトを砕き、舞い上げる。
「何者ですの!?」
 間一髪で、轟音をかわしたイザベラが叫ぶ。イザベラのケンタウロスとしての加速と速度が無ければ、避けるのは難しかったであろう。
 そこには巨人が居た。
(バレル)……? いえ、違いますわね」
 騎に酷似した巨人は、全身を青黒い装甲で覆われている。人型ではあるが、脚が腰ではなく胴体部位から直接伸びている。そして目は一つ。暗い眼窩に肉色の瞳。
 この構造では、記乗して動かすのは不便だろう。イザベラはそう判断し、再び疾駆を開始する。威圧感は先程までの小邪鬼とは比べ物にならない。これが今回の遺伝詞乱散の核であるのは間違いなさそうだ。
「これが元凶でなければ、一人じゃ手に負えなそうですわ」
 できることならば、この巨人とも単騎では戦いたくないのですけれど。
 青い巨人がイザベラの蹄の音に反応し、一つ目を向けた。重騎の構造を模倣しているのか、左腕の装甲がスライドし、そこに現れた剣の柄を右手で掴み、抜剣。イザベラの体よりも大きな剣が振り下ろされる。
 イザベラはそれに加速することで対応した。
 振り降ろされた剣が路面を砕いた時には、既にイザベラは青い巨人の足元近くに達していた。
 加速の勢いが乗った騎兵槍を、脚部に突きこむ。
 装甲がいくらか砕け割れたが、この一撃では倒れない。
 だがそれはイザベラも予測していたことである。速度を活かしたヒット・アンド・アウェイ戦法で、まず敵の機動力を削ぐ。圧倒的な質量と装甲の差。その事実から導き出された予測と戦術。
 巨人が拳と剣を打ちおろし、騎兵が駆け抜ける。
 幾度かそのやり取りが交わされた。
「埒があきませんわね……!」
 僅かに乱れた息を吐きながら、イザベラが呟く。既に肌には珠のような汗が浮き、馬体も熱を持っている。
 彼女の敵である青い巨人はいまだに健在であった。イザベラに砕かれた幾か所もの装甲も、時間の経過と共に徐々に再生を始めている。
 幾度目かの突撃を開始しながら、イザベラは疑問に思う。何でたかが妖物如きが、再生樹詞なんて代物を身に纏っているのか、と。
 再生樹詞。五行破壊された金属が、再生と破壊を繰り返して強度を増すように、傷つき再生するたびに強くなる樹詞都市製最新素材。錬製と自己進化を促す紋章が刻みこまれ、掛詞が言詞注入(インジェクション)されたそれは、そう簡単に入手できるほどありふれてもいなければ、値段も安くない。
「何か裏があるんですの……?」
 無論、妖物は答えない。ただひたすらの暴威を持って応えるのみ。
 騎兵の速度と巨人の重量が交錯する。
 今現在、イザベラの攻撃は巨人の再生を上回る速度でダメージを与え続けているが、巨人の攻撃が一つでもイザベラを捉えれば形勢は逆転する。危ういバランスのまま戦闘は推移して行く。
 走る為に生まれたと言っても過言でない馬獣人の身に、イザベラが疲れを覚え始めた時にそれは起こった。
 イザベラの眼前から突然巨人が消え、繰り出した騎兵槍が空を切った。
 疲れで手元が狂ったわけでも、速度が足りなかったわけでもない。
 地上を動く限り、イザベラの速度から逃れることができる物は存在しないに等しい。事実、イザベラの速度は巨人のそれを超えていた。
 ならば答えは簡単。
「上……!」
 風を巻き上げ、巨人は空に浮かんでいた。
 イザベラの頭上高くに舞い上がった巨人の身体が、月光を遮り影を落とす。
 不意にゆっくりと動き出した認識の中で、イザベラは見た。
 肉色の一つ目が無感情に輝き、左腕が突き出された。腕の装甲がずれ覗く砲塔。騎の名の由来となった物を、この騎型妖物(バーザム)も有していた。その砲塔の奥深くから連続して、撃ちだされる弾丸。おそらく樹詞弾頭であろうそれが飛来してくる。
 極限まで先鋭化した認識の中で、イザベラはそれを避けるべく身をよじり、強引に進路を変えた。
 イザベラの行動は功を奏し、本来の進路上に無数の弾丸が叩き込まれた。
 だが直撃こそしなかったものの、路面を抉る衝撃と爆風がイザベラを宙に舞い上げていた。
 本能的に、イザベラの身が宙で強張る。
 馬は高い所から着地するのに適さず、転倒に弱い。転倒し脚を骨折した馬は、最悪死に到ることもある程だ。その特性は馬系の獣人である己も同じ。
 イザベラは、本能から来る恐怖を無理やりねじ伏せ、少しでも受け身が取りやすいように人間体への獣詞変を行う。
 水蒸気の破裂が巻き起こり、イザベラの下半身が人間の少女の物へと戻る。
 下着を穿いている時間は無さそうですわね……。
 地へと落ちて行くイザベラが考えていたのは、そんな場違いなことだった。



 地に叩きつけられる衝撃は訪れなかった。
 不意に消失した落下感覚。運動ベクトルが縦方向から横方向に変わったことを、感覚が教えている。
 路面を蹴り、轟くホイール音。
 反射的に閉じていた瞼をイザベラは開く。するとそこにいたのは、
「田宮・四狗!?」
 改造制服に身を包んだショートカットの少女。そして、元・樹詞都市総長。
「や、どーも。白馬の王子様じゃなくて残念だった?」
 四狗はイザベラにウィンクをすると、彼女を抱き抱えたまま、足に履いたインラインスケートで疾る。
 その速度は、先程までのイザベラのそれに匹敵する。風切る音が、身にかかる慣性の力がイザベラにその事実を教えている。
 騎型妖物が路面に着地する音。
 疾駆した四狗は妖物から距離を取り、跳躍。近くの民家の屋根へと着地する。
「ま、こんだけ離れてれば大丈夫でしょ。イザベラさん、後は私がやるわ」
 一方的に言い放つと、四狗は屋根から跳ぶ。
 去り際に一言。
「屋根の上だから早く下着穿かないと風邪ひくわよ」
「なっ……!」
 赤面するイザベラを後に残し、四狗は妖物との戦いに身を投じる。

 四狗は着地すると同時に、疾走を開始する。
「調子は良好」
 視線だけでちらりと足元を見る。
 今までのヒールローラーではなく、前後にウィールの付いたハイカットバッシュタイプのインラインスケート。実戦で使うのは、初めての道具。
「名実共に四駆ってわけね」
 路面と空気を削る音と共に妖物へと接近。
 騎型妖物もその音と気配に気づいたのか、既に四狗に向きなおっている。
 四狗が間合いに入ると同時に、大上段からの剣での打ち下ろし。
「遅い」
 既に四狗の軌道は横へとスライドし、剣は路面を砕くのみ。
 四狗は加速の勢いをそのままに、妖物の足元を駆け抜ける。
 妖物の単眼がその姿を追い、振り向こうとしたところでバランスを崩した。衝撃が背を打ったためだ。
 衝撃の正体は、四狗が両手に持ったスパイクヨーヨー。その内の片方が、凄まじい勢いと共に妖物を背後から打撃していた。
 妖物は転倒しそうになるのを、踏みとどまる。
「ちっ、意外と重いわね」
 四狗は長大に伸びたヨーヨーのワイヤーを一瞬で引き戻し、その勢いを利用してターン。
 再び間合いに入った四狗に対し、バランスを取り戻した妖物が、剣を地面すれすれの高さで横薙ぎに振るう。
 四狗の左側から、巨大な質量が唸りを上げて向かってくる。先ほどは違い、単純な二次元方向移動では避けられない。
「だから遅いんだって」
 しかし四狗は慌てることなく、剣に向かって側転。
 四狗の左手の着地先は、騎型妖物の剣の腹。手と剣の間のあるヨーヨーを回転軸にする。
 身体の下を高速で剣が通り過ぎ、四狗は側転を完了。
 着地と同時に、右手を頭上へ持ち上げ、振るう。
 高速で射出されたヨーヨーが、ワイヤーを伸張させながら弧を描く。
 ヨーヨーは、妖物を捉える事無く路面を穿つ。
 外れ、ではない。
 地面に接地すると同時に、ヨーヨーのホイール部に刻印された”回転”の紋章に流体光が奔る。内臓駆動機構が起動し、高速回転を開始。
 結果として、振りまわす主従を逆転させた回転運動が発生。四狗の身体がヨーヨーのホイールを支点にして、宙に浮き、振り回される。
 駆動機構の出力と遠心加速は、四狗を高速質量砲弾へと変える。
 振った剣を引き戻す間もなく、妖物の頭上に四狗の蹴りが炸裂した。
 四狗は、蹴りの衝撃を膝をサスペンションとして受け止め、反作用を脱力した全身の関節から逃がす。
 逃しきれず身体に溜まった余剰の力で身体を飛ばせば、大跳躍となる。
 四狗が着地して振り向くのと、妖物が地に倒れるのは同時だった。

「凄い……」
 その様子を見ていたイザベラが呟いた。ウェストポーチから出した下着は手に持ったままだ。
 流れるような高速移動と回転運動の連続は、イザベラの動体視力を持ってしても見失いかねない激しい物だった。ある程度の距離があるためその動きを見ることが出来たが、あの動きを至近距離で行われれば、視界から高速で消え死角から襲い来る恐るべきものとなるだろう。
 下着は両端が紐となったタイプ。穿く為にあらかじめ両サイドの紐を結んでから、脚を通す。獣化する際に脱ぐ分には楽だが、穿く時は少し面倒くさい。
 イザベラは思う。田宮・四狗は統合前に樹詞都市側で総長をしていた程の人物ではあるが、あそこまでの速度と力を持っていただろうかと。そして先日、駒ケ岳へ出撃した後、御山へ再修行に入ったと聞いた。
 ならばあの力は再修行の成果なのだろうか。あるいは他の何かなのか。
 考えに耽るイザベラが、下着を膝上まで上げた所で、再び妖物が立ち上がった。

「流石にしぶといわね。きっついわー」
 言葉と裏腹に余裕を滲ませた四狗の言葉。
 その意味を理解したわけではないだろうが、騎型妖物は単眼に四狗の姿を捉えると、即座に踏み込み袈裟に剣を振るう。その速度、リーチ共に先ほどより鋭い。
 向かって右上から打ち降ろされてくる剣を、四狗は剣の下に潜り込むような形で回避しようとする。
 すると騎型妖物は剣の軌道を袈裟から、横薙ぎに変え、四狗を追う。
 四狗は左手を振るい、ヨーヨーを射出。妖物の右横に斜めに接地したヨーヨーを中心に、四狗は円滑走。
 滑走中に右手を円の外側へ振り、もう一対のヨーヨーを射出すれば遠心加速が加わり、滑走はさらに速くなる。
 高速で妖物の周囲を円周回転し、横薙ぎの剣を回避。
 そのまま背後に回り込んだ四狗は、全ての勢いが乗った右のヨーヨーを、妖物の右肩へと叩きつける。
 ――四狗・鞭術技能・発動・大打撃・成功!
 乾いた音を立て、騎型妖物の右肩部装甲が砕ける。
 自身のモーションベクトルに打撃の勢いを加算され、大きくバランスを崩す。
 四狗はその場で右回転し、既に引き戻してあった左のヨーヨーを再射出。
 ――四狗・脚術/体術技能・重複発動・信地旋回・成功!
  ――四狗・鞭術技能・発動・引き寄せ・成功!
  ――四狗・鞭術技能・発動・投射打撃・成功!
 回転の動きは右の回収と、左の追撃を同時に叶えた。
 妖物はベクトルを誘導されバランスを崩した所に、カウンターを受ける形で打撃を加えられた。
 とっさにガードした、左腕部の装甲が砕ける。
 騎型妖物は己の不利を悟り、推進器を模した背面機構から、圧縮空気を噴射。剣を投げ捨て、その身を宙へと持ち上げる。

「不味いですわ!」
 スカートの裾を抑え、圧縮空気が巻き起こした烈風をガードしながら、下着を穿き終えたイザベラが叫ぶ。
 イザベラや四狗が高速の機動を有していても、それは地上でのこと。
 敵が空にあった場合、彼女らに届くのは跳躍と武器のリーチ合わせた距離まで。
 対して空は果てし無く広く、高い。
 故に空を行く敵は、文字通り彼女らの天敵である。
 敵が射撃武器を持っていた場合、その優位性はさらに広がる。
「どうするつもりですの、四狗さん……?」
 不安と焦燥の浮かぶイザベラの表情とは裏腹に、夜空を見上げる四狗の表情は不敵な物だった。

 上空から敵の姿を認めた騎型妖物は、両手に内蔵された機構から射撃を開始した。
 掃射。
 地上を薙ぎ払い、埋め尽くす勢いで弾丸が降り注ぐ。
 四狗はその弾丸を高速の滑走とヨーヨーを使った回転、直線と円の組合せによる機動で避ける。
 足の四輪と、手の二輪。
 その全てを揃え、あるいはバラバラに動かす四狗の軌道は、高速かつ複雑な物で、妖物の射撃は捉えることができない。
 だが、攻撃が届かないのは四狗も同様。
 騎型妖物の位置する地点は、ヨーヨーを使った先ほどの大跳躍を超える高さにある。
「四狗さん、ここは一度退くべきです! 遠隔職が居れば対処できますわ!」
 イザベラの叫びが、四狗の耳に届く。
 だが、四狗は口の端を歪め笑い、イヤホンを装着するとポータブルプレイヤーのスイッチを入れた。
「人は地を駆けるだけと、誰が決めたの?」
 四狗が己の詞を謳う。

 天に届けと風が呼ぶ 
 空を掴めと雲が招く
 全ては高く在らんがため

 ――四狗・雷神神器・発動・電撃蓄積・成功!
 神器の調べと共に、四狗が蒼光を纏う。
「それにね、龍は空を翔けるものなのよ」
 ――四狗・雷神/脚術/軍事技能・重複発動・『弾丸』起動・成功!
 四狗が一際強く地を蹴ると同時に、四狗の履いたインラインスケートに雷神の光が流れ込む。
 雷神の光を得たインラインスケートは、その表面に流体光と紋章の幾何紋様を浮かび上がらせる。同時に後部ホイールが朝日の如き、黄金の光を発する。
 ホイールのパーツが組み換わる微かな音と共に、内部から高速の駆動音が響き始める。
 助走も暖気も十分、ならば後は往くだけ。
 地を蹴り、四狗が空へと舞い上がった。



 四狗が高速で空中へ飛び出す。
 神器の拍動に合わせ、自律駆動を始めたインラインスケートの出力は、その銘通り小柄な四狗を弾丸へと変えた。
 だがそれに動じることなく騎型妖物は、向かってくる敵に対し射撃を開始。
 いかに四狗の動きが高速とは言え、匪天ならざる身の人間が空中で取れるのは、単純な放物線軌道のみ。地上と違い、急停止や旋回が出来ない以上、限定された空間に対して、射撃を送り込めば自ずと命中する――はずだった。
 ――四狗・体術/脚術/飛翔技能・重複発動・空間機動・成功!
 四狗は物理法則に抗い、空中で軌道を変え、回避。
「遅いって言ったわよね?」
 進行方向を変えないままに、軸線を平行にずらし、射撃の弾幕をかわす。
 本来不可能な空中機動を叶えた正体は、田宮・四狗がその足に履くインラインスケート。
 弾丸と名付けられたそれは、後部ホイールそのものが小型の紋章式駆動器となっている。そしてその駆動器の核には、小型だが純度の高い精霊石の結晶が使用されている。
 雷神の力を受け起動した駆動器は、重力制御によって四狗を地上から解き放つ。同時に、重力制御の副産物として引力と斥力を自身の周囲に放射、展開。それによって生み出された力場は、自身が踏破する架奏路線を産み出す。
 今や田宮・四狗にとって空間の全てが、無限の空が、彼女のための道であり、戦場となる。
 一斉射目の弾幕を抜ければ、そこは何も無い空が広がっている。
 ――四狗・脚術/飛翔技能・重複発動・空間加速・成功!
  ――四狗・投擲/腕術/鞭術技能・重複発動・武器投射・成功!
 四狗は空を踏みしめ、風を蹴り、加速。
 両手のヨーヨーを同時に放つ。
 妖物は、至近距離まで肉薄した四狗へ、再度の射撃。
 ――四狗・鞭術/腕術/体術/飛翔技能・重複発動・空間旋回・成功!
 四狗はヨーヨーのホイールを中心に、空中で上向きの振り子運動を行う。
 空へ持ち上げられるようにして四狗の身体が移動し、妖物の視界から消えた。一瞬遅れて、空中に残されたヨーヨーも同様にして消える。
 今まで四狗の居た空間を弾幕が通過した時には、既に四狗の身体と視界は、騎型妖物の遙か上にある。
 妖物は四狗の姿を視界に捉えるべく、上を向く。
 ――四狗・脚術/飛翔技能・重複発動・空間加速・成功!
  ――四狗・鞭術技能・発動・投射・成功!
 四狗は頭上の空間を蹴り、パワーダイブ。同時にヨーヨーを手から離し、後ろに置き去りにする。
 妖物が四狗の姿を視界に捉えた一瞬後には、反応速度を遙かに超える速度で、再び視界から消える。
 四狗は、妖物の腰付近で急制動を欠け、空中で静止。
 ――四狗・脚術/体術/飛翔技能・重複発動・急静止・成功!
  ――四狗・鞭術/腕術/体術技能・重複発動・二連打撃・成功!
 本来、四狗が持っていた慣性の力は、紋章駆動器により斥力へと変換され、ワイヤーを伝い、四狗の動きをトレースしていたヨーヨーへ伝播。
 ヨーヨーは止まることなく、四狗の慣性力をも上乗せされ妖物へと激突する。
 巨人が殴ったような轟音と衝撃と共に騎型妖物の胸部装甲が、歪み、砕ける。
 空中でバランスを崩しながら、妖物が単眼の視線を前方に向けた時、既にそこに敵手の姿はいない。

 地上からその様子を見ていたイザベラは、既に驚愕を通り越し、どこか落ち着いた心境となっていた。
 今も空中では四狗が、文字通り縦横無尽に動き、敵を翻弄し、打撃を加えている。
 彼女の動いた後に残されるのは、後部ホイールが発する駆動光の残光と、軌跡の残像、雷神の煌き。
「小雷龍、ですわね」
 イザベラは四狗の字名を思い出し、呟く。
 空に突き立てる牙を雷と言う。
 ならば牙を持ち、残光の胴を持ち、天翔る存在は、まさしく雷の龍の名を戴くに相応しい。
 臥竜は新たな力を得て、空へと舞い上がったのだ。
 イザベラは期待を込めて、空を見上げる。
 結果は分かっている。
 竜と下等な妖物とでは、比べるまでも無い。

 既に騎型妖物の全身は、無事な個所を探すのが困難なほどの打撃を受けていた。
 それでもなお空中にあり続け、墜落しないのは、巨体ゆえの耐久力と防御力、再生樹詞の回復力によるものだろう。
 四狗は、騎型妖物の直上方向から攻撃を仕掛ける。
「敵の装甲が堅ければ、それを砕ける力をぶつけるだけの事!」
 ――四狗・雷神/脚術/軍事技能・重複発動・『弾丸』第二起動・成功!
 四狗が吼え、同時に雷神の力が追加で『弾丸』へと付与される。
 ホイールが一回り大きく展開され、内部機構から流体光がさらに強く放射される。
 四狗の機動速度がさらに上がり、コマ落としの残像が空中に残る。
 ――四狗・『弾丸』/体術/脚術/射撃技能・重複発動・月打(ムーンストラック)・成功!
 超高速の領域で半身を振り抜くと、四狗の爪先で水蒸気の白い雲が糸を引いた。同時に『弾丸』の発する光が、文字通り弾丸の形を取って発射される。
 光の弾丸は大天蓋の遙か彼方に浮かぶ、月と同じ色をしていた。
 月光の打撃に身を撃たれた妖物が墜落して行く。
 ――四狗・腕術/脚術/体術技能・重複発動・空中エビ反り・成功。
 その姿を見ながら、四狗が空中で身をしならせた。
「陸爪!」
 ――四狗・雷神神器・発動・電撃付与・成功!
  ――四狗・雷神/腕術/鞭術技能・重複発動・『陸爪・改』起動・成功!
 四狗が裂帛の気合と共に、双の手からヨーヨーを放つ。
 放たれたヨーヨーはスパイクを展開し、雷光を纏いながら妖物へと突き進む。
 疾風迅雷。
 まさしく雷の速度と勢いを持って、妖物へと着弾し、炸裂した。
 騎型妖物は光と音と衝撃の奔流へとその身を変じ、爆散した。
 あまりの勢いと熱量に、その破片すら雷撃の餌食となり、溶けて消える。
 光と音が収まり後に残ったのは、電化した空気から漂うオゾンの微かな刺激臭と、地へと舞い降りた四狗の姿のみ。
「任務完了、ってね」
 四狗はそう呟き、民家の屋根の上でこちらを見るイザベラへウィンク。
 イザベラは、満面の笑顔でそれに応えた。


 余談ではあるが、四狗の位置からは、爆風と角度の相互作用でイザベラのスカートの中、レース付きサイド紐ショーツ(パステルブルー)が丸見えであったというが、それはまた別のお話。


"It is necessary to correct 'Folklore' that twists in blue moonlight in hard moonlight. " closed.





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