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  1. 『他人の干渉』
  2. 真夏の終焉
  3. 退行への緊急避難
  4. 再生
  5. ――――


 二〇〇六年八月。
 真夏。日本で最も暑い一月。
 それはその都市にあっても例外ではなかった。
 関東平野の南、閉鎖された矛盾都市−TOKYOに近い都市。
 無名都市−千葉。
 否。
 現在はその都市を統べる者たちによって、こう呼ばれていた。
 すべての夢を叶える都市、夢幻都市−千葉、と。


『他人の干渉』


 東京湾に面し、千葉圏内でも最も東京に近い「夢幻区域」と名付けられた区域。
 無名都市時代には「無名区域」と呼ばれていたそこは現在、千葉圏総長連合の本拠地が置かれ、要塞化されている。約一か月前に、茨城圏との戦闘が行われて以降、防護と強化は更に進められている。
 その要塞化された夢幻区域の地下低層部。情報管制室に一人の男がいた。
「日本の夏は暑くて嫌だねぇ……」
 男はぼやきながらコンソールに向かっている。男の眼前では、マルチディスプレイに様々な情報が表示され、猛烈な勢いで流れ去って行く。
 CUI。騒荷主体の者たちが好む操作方法。
 常人ならば到底把握できるような量や速度ではない。だが男は、キーボードを叩き情報を切り替え、文字列の内容を書き換え、機器の制御と操作を行っている。
「まあ、電詞機器のある部屋は空調効いてるからマシだけどね……ホイ」
 一声呟いて、エンターキーを押す。
 すると先ほどまでの勢いを倍する速度で、画面上を情報が流れて行く。
 今の作業で一区切りがついたらしく、彼は椅子の背もたれに体重を預ける。
「これで設定は完了、かな?」
 彼は千葉圏総長連合の技術顧問と言うべき立場の人物だ。校則法適用年齢はとっくの昔に超えているが、現在の千葉圏総長連合でそのようなことを気にする人物は皆無と言っていい。
「貧乏暇なし……今日も明日もお仕事お仕事……やれやれだ」
 男はぶつぶつと愚痴をこぼしながら、コンソール脇に置いてあったタンブラーを手に取る。タンブラーは保温性のあるものだったが、中身のコーヒーは既に冷めきっていた。
「冷めたコーヒーの不味さは日米共通か……嫌になるね、全く」
 男は大げさな仕草で嘆く。
 と、そこで彼の目の前にあるディスプレイの一つが反応を返した。
 画面上に表示されていた白や青、緑の情報詞窓が、次々と赤あるいは黄と言った警戒色に切り替わって行く。
「……始まったか。本気で仕事をしないと駄目そうだね」
 男の口調がそれまでとは決定的に切り替わる。
 どこか茫洋としていた目つきも、冷たく沈んで行く。
「管理者権限で全機能の使用制限を解除。超越奏者名(スーパーユーザーネーム)は、グレッグ・グッドフィール」

 グレッグが匿名を捨て、『自己認識名(ハンドル)』を宣言した。
  ■ Anonymous  -> "Greg"
  ■ Indefinite -> "Rhythm Customizer"
  ■ Unemployed -> "System Engineer / Engineering Advisor"
 『グーフィー』の存在が確定された。



 夢幻区域地上部にある総長連合本部詰所。
 現在、そこは喧騒と混乱に包まれていた。
「圏外との通信途絶! 強力な電詞妨害名(ジャミング)がかけられています!」
「圏内の隊員との通信状況も急速に悪化しています! 短波無線はほぼ全滅。有線も正常稼働率が下がっています」
「電詞防火壁から警告! 本部メインシステムへのハッキングを確認! まだクラックされてはいませんが、このままでは!」
 情報を司る総長連合第一特務の隊員達が悲鳴と等しい報告を上げる。
 報告を聞くのは二人。それぞれ総長連合の実働と情報を司る総長連合幹部。一人は銀髪。もう一人は金髪。共に痩身だが、痩せていると言うよりは引き絞られた身体という表現が似つかわしい。
「この解析速度……数基の量詞演算装置からの同時ハッキングか!?」
「んなもん使ってるのは都市の基盤OSレベルだヨナ。ツーことはアレか。横浜か筑波辺りからの電詞情報戦かモナ」
 銀髪の男が掠れた声で驚愕の声を上げ、金髪の男が軽薄な声で面白そうに言う。
「お前はどっちだと思うヨ、『ノイズトーカー』?」
「『アラジン』、貴様! その名で俺を呼ぶなと何度言えば……!」
 ノイズトーカーと呼ばれた男が、反射的にアラジンと呼ばれた男へ掴みかかろうとする。
「イイのかヨ? この状況で俺をぶちのめしたら情報部門は、相当効率悪くなるゼ。戦争師のお前さんとしては、それはアリがたくないんじゃネエの?」
「貴様……!」
「冗句だ、ジョーーーク。俺らがモメても仕方ネェだろ」
「Shit……覚えテロよ」
「三歩まではナ」
「実際どうする気ダ」
「俺としてハ『ハートの女王』を動かすのが楽なんだがナ。最悪のハナシ、『メタリオン』の使用まで許可すりゃ撃退どころか反撃で潰せるシよ」
量産型(モデュレイテッド)超時虚戦闘剣(グラディウス)をか?」
「だから最悪のハナシだよ。手札を見せすぎるのは考えもんだしな。……オイ、攻撃してきてるのはどこからか分かるか?」
 金髪、情報を司る第一特務隊長が部下の隊員に聞く。
「は、はい! 現在判明しているのは海底ケーブルを経由した海外からのハッキングです。推定では、米国、英国、ドイツなどを通ってきているかと……」
「つまり有線ケーブルで繋がってる都市全てが容疑者みたいもんダナ。困ったモンだ。どーするかね?」
 金髪の男は、ちっとも困ったそぶりを見せず銀髪の男に問いかける。
「知るか。俺は実働だ」
 憎々しげに顔を歪め、実働、第二特務部隊長である銀髪の男は返答を拒否した。
「頼りない同僚だナ。さてと、総長も今いねえし、マジでどうするかね」
 金髪の男が本部詰所の奥、総長の執務机を横目で見て溜息をつく。
 本来なら総長がいるその席は空席。その姿を朝から誰も見ていない。
「電詞防火壁第五層まで突破されました!」
 第一特務隊員の悲鳴。
「悩んでる時間は無いか……シャーネエ、『ハートの女王』を動かせ。まずハ俺たちノ領域から撃退。そんでもって発信源ヲ――」
「その必要は無いよ」
 声と共に本部に入ってきたのは、白衣を着た男。グレッグ・グッドフィールだ。
「おい、どういうことだ『グーフィー』」
「グレッグでいい。既に自己認識名宣言している」
「オイオイオイ、マジかよ」
 金髪の男が軽薄な声に、わずかな焦燥を滲ませる。
「そこまでの相手か」
 同じく銀髪の男も掠れた声で言う。
「いや、予定していた相手と言うだけだよ。だから、僕も予定していた行動をとった」
「……『ストーリーメイカー』のシナリオよりも早いな」
 金髪の男が表情に緊張を浮かべる。
「誤差の範囲内さ」
 苦笑と共にグレッグが肩をすくめる。
「第六層突破! 敵性情報攻撃が最終層に到達!」
 悲鳴。
「さて、そろそろこっちのターンだ。5、4――」
 グレッグがカウントを呟く。
「3」
 電詞防火壁の最終層を表す情報詞窓が、次々にアラートを出す。
「2」
 画面上では電詞防火壁の情報が、赤い警告職に塗りつぶされて行く。
「1」
 画面全体が赤く染まる一瞬前、
「0」
 グレッグの声に呼応するようにして、画面に己動詞発動の表示が出た。

《夢幻都市電子管制機構:"虐殺の壁(The Walls of Jericho)":高度攻性防壁:詞速(ラン)

 次の瞬間、画面上の全ての赤い警告詞窓が駆逐された。
「情報侵攻停止! 第一から第六層の電詞防火壁機能回復します!」
「圏内の通信回復! 圏外との通信はゲートウェイ経由の限定復帰となっています」
 次々と状況回復の報告が上がる。
「ヤレヤレ。おいしいとこ全部持ってかれたな」
 金髪の男が軽口を叩く。
「まあ、その分これから頑張ってくれよ」
「ハードな話だ。……おい、どこ行くんだ」
 金髪の男が、本部を出て行こうとする銀髪の男に話しかけた。
「出撃準備だ。シナリオ通りならば次は奴らが直接来る」
 銀髪の男は、決定事項を読み上げるかのようにして言うと本部から出て行った。
 グレッグと金髪の男は、復旧と情報の確認に追われる隊員達を眺めながら言葉を交わす。
「ついに始まったか。『始まりの終わり』が」
「ああ、そうだよ。そしてやがて『終わりの始まり』へと連なるさ」


『真夏の終演』

●「秘匿回線の言定義状態(ボードモード)『チェスボード』にて」――――●
管制機構(システム)言像更新(オーバーリロード)
:ここは秘匿回線の電詞会議室チェスボード≠ナす。
:時刻は午前11時32分です。
:参加者は全員匿名設定です。
:会話の内容は管制機構より全て記録と制限がされます。
:ここでの通信記録は外部公開不可です。
:外部公開した場合、情報概念隠蔽と情報発信元の特定が行われるため注意して下さい。

騎士1:「千葉が電詞防壁を展開しました。情報戦によるシステム制圧は失敗です」
僧正2:「予測の範囲内の出来事だ。驚くに値しない」
僧正1:「しかし、高度攻性防壁――エリコの壁。この突破容易では無い」
兵士2:「情報部の予測によると、最短でも168時間以上は情報侵攻不可とのことです」
城砦1:「忌々しい、あの男め」
僧正2:「解析己動詞の使用は?」
兵士2:「既に行っています。しかし、我らの手にある解析己動詞作成の参考となった『壁』は、現在使用されているものと比べると二世代分以上ヴァージョンが古い物です。しかも、それですら解析度は三割に足りません」
女王:「残念ながら、『知恵の実』の制圧のみを行うことは、不可能のようです。穏便に済ませたかったのですが」
《管制機構の言像更新》
王:「仕方が無い。『無名区域』の直接占拠を行う」
兵士1:「了解しました。予定通り作戦行動を開始します」
《管制機構の言定義状態を終了します》



 千葉西部に広がる九十九里浜。その名の通り長大な砂浜海岸が広がっている。
 見通しのいい海岸線沿いには、一定の間隔を置いて総長連合の監視所や詰所が置かれていた。
 そんな監視所の中の一つ。
 二人の総長連合員が監視任務に着いている。
「熱いな」
「熱い」
 ねっとりと粘りつく様な夏の空気。
「空調なんて贅沢は言わんから、冷たい飲み物が欲しいぜ」
「その方がよっぽど贅沢だろう」
 八月中旬の日差しは、監視所内の温度を容赦無く上昇させていた。既に窓もドアも全開だが、うだる様な熱気の前には悲しいほど効果が低かった。
 時折それを攪拌していく海風のみが、慰め程度の涼しさを彼らにもたらす。
「今日の昼食のデリは、老師直伝冷やし中華らしいから、それを楽しみに待つとしよう」
「ついでに氷雪系効果のある詞験管も付けてくれればなあ……」
「それにしてもさ」
「うん?」
「これからどうなるんだろうなあ」
「さあなあ。この前の戦闘だって、イマイチどうなったかよくわからんし」
 二人の連合員が話しているのは、約一月ほど前に合った茨城圏との戦闘について。
「俺らも前線には出てたが、主戦場じゃなかったしな」
「噂じゃ互いにバックエンド側でもドンパチやってたそうだがなあ」
 千葉と茨城の戦闘は圏境付近で戦端が開かれたが、単騎突破可能な戦力による強行突撃を両陣営共に実施していたとの噂は絶えない。
「まあ俺らヒラには対して関係無いか」
「だな」
 事実として、総長が日本人だろうと留学生だろうと、彼ら平隊員にはあまり影響は無い。総長が変わった時点では、待遇や将来に不安を覚える連合員も多かったが、その後の立ち回りや施策により、今ではその声も沈静化していた。
 他愛も無い話で時間を潰す二人。だが、その平穏は突如として破られた。
 警告音と共に警報が鳴った。
「警報!?」
「第一種戦闘態勢だと!?」
「イエロー、オレンジすっ飛ばしてレッドって、何が起こってんだ……」
「!? 本部から撤退命令が出たぞ!」
「内容は!?」
「総員持ち場を放棄。千葉、船橋まで順次後退後、本部へ撤退。一般隊員は自衛以外の戦闘行動を禁ずる、だ」
「とにかく逃げろ、ってことか」
「よし、さっさと逃げて本部で飯だ」
「おう!」
 二人の判断は早い。正体不明ではあるが、これまで本部と総長の判断が正しかったことに対する信頼が根拠となっている。
 二人の連合員は、監視所を自動監視に切り替えると監視所から砂浜へ。そのまま移動用のジープへ一目散に駆け出した。



 二人の連合員がジープで逃げ出してから、僅かに二分後。
 九十九里浜から見える水平線上に、黒点が一つ浮かんだ。
 黒点は大きくなり、次々のその数を増やしていった。
 その正体は、戦闘ヘリを中心とした飛行編隊。黒と灰色で塗りつぶされた機体は、所属する国や部隊の識別が不可能なものとしている。
 監視所のレーダが所属不明機の接近を察知。最近になって総長連合が設置した迎撃システムが、迎撃を開始する。
 防空システムが対空射撃と地対空ミサイルの射出を開始。曳航弾が光を引きながら空を裂き、ミサイルが推進噴射を行う。
 戦闘ヘリが、輝く光を空に放った。天使が翼を広げるように降り注ぐそれの正体は、チャフとフレア。
 眼を潰された対空システムは、攻撃の狙いを付けることができずただ闇雲に攻撃を乱射するのみとなる。
 それでも濃密な火線は数機のヘリを撃墜することに成功した。
 しかし、戦果はそこまでだった。自動迎撃システムを遥かに上回る速度と、正確さで対地攻撃が放たれる。
 爆発、そして黒煙。
 瞬く間に、総長連合の監視所と防空システムが破壊される。
 防御火線が沈黙したことを確認すると、戦闘ヘリとは別種の輸送ヘリが前進してくる。やや大きなその機体も同様に黒と灰色の二色で塗装され、その所属を示す標は無い。
 破壊制圧した海岸の上で、ヘリがホバリング。
 側面のハッチから、空中に飛び出す複数の人影。銃器だけでなく、背嚢やボディーアーマーで完全武装している。
 人影はロープすら使わず砂浜に降下、着地。ヘリと同じく、ダークグレイを基調としたボディーアーマーと都市迷彩服。頭部と顔も防護されているため、人種すらわからない。唯一、疾駆を開始した時に微かに響く駆動と軋みが、彼らが義体師であることを示している。
 数人の義体師は、破壊された監視所に近づき、内部を確認。確認が済むと爆薬を投げ込み爆破した。
 周囲を完全に制圧したことを確認すると、空中でホバリングしていた輸送ヘリが次々と降下を始めた。
 輸送ヘリからは、次々に完全武装した人影や武装車両が姿を現し、展開していく。
 武装した人影は、予め決められているかのように内陸に向かって進み始めた。
 そして、水平線上に大きな影が幾つか浮かんだ。








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